小さい頃は、「こうしなさい」「こうあるべき」という期待の中で育ちました。
自分の気持ちよりも“正しさ”が優先される毎日で、
まるで見えない何かに縛りつけられているような息苦しさがありました。
感情を出すことも許されないような空気の中で、
いつの間にか、心の奥に反発と孤独を抱えるようになっていたと思います。

だから今、感情を持て余す子どもたちの気持ちが、よくわかります。
言葉にならなくても、イライラしても、泣いてもいい。
そう思える空間をつくることが、僕の原点の一つになっています。

20代前半、スノーボードでの落下によって椎間板を痛めたのが大きな転機でした。
当時は新卒で入った会社の、縦社会や悪口が当たり前の職場環境に苦しみながら、
仕事がなくても帰れず、誰の顔色を見て生きるかばかりを考える毎日でした。
心が限界に近づき、無茶をしてしまったのは、あの環境の反動だったと思います。

その後、ボルダリング中の落下も重なり、30代前半で脊柱管狭窄症を発症。
医師からも「この年齢でこの症状は見たことがない」と言われるほどの状態で、
神経痛、不眠、精神的な不安定さ、そして体重減少と向き合う日々が続きました。

それでも、場に立つことはやめませんでした。
登れなくても、ここにいることを選び続けました。

コロナ禍では経営も揺れ、来場も激減。
一人でできることを模索しながらも、この場所だけは止めたくなかった。
「登れる人だけの場所」ではなく、登れなくても、人と誠実に向き合える場所をつくりたかったから。

誰かと比べて動けなかった子が、
今では「自分のペースで登ってみたい」と伝えてくれるようになりました。
笑顔のなかった子がピースをしてくれたり、
率先して手伝ってくれる大人たちが、自然と増えてきました。
「こんなに手伝ってくれる場所はなかなかないですね」と言われるたびに、
このジムに流れる空気が、どれだけ人を支えてくれているかを実感します。

過去の自分にとっての“居場所”を、今、自分の手でつくれている。
それが、僕の誇りです。
そして今、自分の人生はここからさらに深まっていく。
そう感じながら、静かに歩み続けています